GINZA SONY PARK PROJECT

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ソニーの「パーク」は銀座の未来を開くか?

建築家
青木淳
建築史家
倉方俊輔

TALK SESSION #01

開催日時
2016年7月3日(日)15:00〜16:30
開催場所
ソニービル 8F「コミュニケーションゾーン OPUS(オーパス)」

1966年の開館以来、その独特な構造や立地により、ソニーブランドのショーケースであるとともに銀座のランドマークでもあるソニービル。開業50年を機に、ビルを解体して地上部分を広場として開放する「銀座ソニーパークプロジェクト」が発表されました。このプロジェクトを記念したトークセッション、第1回は「ソニーの『パーク』は銀座の未来を開くか?」と題し、建築家の青木淳さんと建築史家の倉方俊輔さんをお招きしました。ソニービルがいかに画期的な建築物だったのか、そして銀座ソニーパークプロジェクトに期待することなど、お二人に幅広く語り合っていただきました。

画期的なアイデアで溢れていたソニービル

青木:ソニービルが建ったのは僕が10歳の時。初めて来たのは中学生の頃でしょうか。以来、銀座での待ち合わせといえばソニービル。友だちが来るまで、ビルを上り下りしながらソニーの最新商品を見て過ごしていました。

倉方:ソニービルの特徴はいろいろありますよね。構成として面白いのは、フロアが四等分され、段々に上がっていく花びら構造であること。普通なら上下の階に何があるのかは見えませんよね。でもこれによって各階を分断するのではなく、「銀ブラ」を建物の中で実現しようとしている。この場所に建てるなら普通のビルではダメだという、建て主と設計者の共通した思いを感じます。

青木:すごい冒険心のある建築ですよね。
ソニーの設立趣意書の中に「自由闊達にして愉快なる理想工場」という言葉がありますね。これは、今まで誰もやらなかったことを、それも「楽しく」やろう、ということでしょう。それを建築物として実現したのがこのソニービルだと思います。完成した時には盛田さん自身、「こんなの作っちゃって良かったんだろうか」と不安になってしまったそうですが(笑)。

倉方:イベントスペースも自由ですよね。敷地いっぱいにビルを建設するのではなく、交差点に面した一角を、建物を建てないことで利用している。今回の展示を見ると、このスペースでライブなど思いがけない都市的な出来事や日本全国からの発信が行われていた蓄積が分かります。ビルの敷地を公共に開放するというアイデアは、今も新しく思えます。

青木:そのソニースクエア、それから銀座の道の延長のようにつくられた内部構造によって、内から見ても外から見ても画期的な存在になったのだと思います。ソニービルを設計したのは、僕が大学の建築学科時代、教壇に立たれていた芦原義信さんなのですが、おそらく彼の最高傑作なんじゃないかな。

「パーク」へと生まれ変わるソニービル

青木:そうであるだけに、解体するって聞いた時は「え、なくしちゃっていいの?」と驚きました。
そこで、このプロジェクトのウェブサイトを覗いてみたのですが、そこには解体した後に新しい建物をすぐ建てるんじゃなくて、数年間広場として使いながら、今後どういうものを作るか時間をかけて練っていく、ということが書かれていました。これは、普通とはちょっと違う進め方ですね。
建築は、まずそこに人がいて、その人がしたいと思うことをはじめ、それがそこを場に変えていって、その場がまた人の新たなしたいことを誘発する、そういう人との相互作用にあるものです。だから、そこで昔と違うしたいことが生まれ、そのしたいことがその建物でどうしても果たせない場合は、致し方ない、その建築を建て替えざるをえない、ということもあるでしょう。ただ、建て替えるならそれ以上の建築を建てなくちゃと思います。すぐにつくらないというのは、まずその建築を場にまで戻して、そこから十分に考え試していきましょう、ということだろうと読みました。

倉方:先ほどもあったように、この建物は当時かなり冒険的なものでしたが、盛田さんは「前例があるから」でも、逆に「前例に反抗する」でもなく、純粋に「これはいいんじゃないか」と考えて、ビルの建築に踏み切りました。今回のプロジェクトにも、このソニーらしい精神は反映されるのではないでしょうか。

青木:そうでしょうね。ソニーは堅実にヒットする商品を狙うのではなく、「このアイデアが面白そうだからやってみよう」という企業でしょ。だから事業の方向性や興味が段々と変化していって、創業の頃のエレクトロニクスの会社から、今ではゲームや映画、音楽などのエンタメ事業の方が主流と言ってもいい会社に変わってきました。そうなると、ハード機器を陳列していくことから考え出されたこのビルの構造では、今のソニーがしたいことをうまく入れることができないのかもしれません。

倉方:その結果、99パーセントのケースでは土地を更地にして売却してしまうのですが、今回は敢えてそれをせず、保持したままパークとして公共利用していこうとしている、ということですね。
先ほどソニービルを「冒険的」と評しましたが、僕は、建物を訪れた人がそこで時間を過ごしたくなる空間のつらなりや、数値で測れない明かりの質、そういった言葉にならない空間の質があるのが名建築だと思っていて、この建物に関してもそれを感じています。
目立つ形や合理的な計画を追い求めるだけでなく、その中で体験する時間やその時の時間の質を作るのが本当の名建築で、建築のやるべきこと。芦原義信さんの設計された今のソニービルはそんなことも言っているのではないかと思うんです。

自由にアップデート可能な「パーク」

倉方:青木さんはこうした公共性のこれからにどのような期待を持たれていますか?

青木:僕は公共性という言葉を、都市性という言葉とほぼ同義でとらえています。都市性というのは、知らない人同士がクロスしているということを言います。その象徴ともいえるのが、駅であり、今回のプロジェクト名にも入っているパークです。パークは一般的には公園の意味ですが、ここでいう「パーク」というのは、明確な使い道が最初から決められているわけではない、でもなにかをしてみたくなる場ということでしょうね。開催されるイベントにやってくる人、単に通り抜けていく人、休憩しに訪れる人がすれ違う。僕が期待するのは、そこから、何かが始まったり見つかったりする、そういう空間と時間の質を持った場所であることです。

倉方:青木さん自身の建築もそうですよね。建築時には意図されていなかったイベントが開催されることも多く、そこにいる人や使っている人たち自らが、こうしたらこの場がもっと面白くなるんじゃないかという発想を誘発する構造になっています。場があってこそ、行為が生まれるということですよね。

青木:人も企業も建築物も生命体ですからね。今はこういう場所だけど、来年には全く違う場所になっているかもしれないという変化を後押しするようだといいですね。
今のソニービルは、道の延長のようであることで、人と人とがすれ違う都市性をもってきたけれど、その都市性をパークというところまで一度戻して、そこから新たな人と人のクロスを生み出し、使い道を試し、そのなかから新たな用途が生まれていくのかなと思います。
その意味では、ソニービルは、これまでもずっと銀座の交差点のランドマークであり、銀座のアイコンだったわけですけど、いっそのこと銀座ソニーパークから交差点までもっとシームレスなものにして、ビルをアイコンにするのではなく、交差点そのものを新たな銀座のアイコンにしてしまうのはどうかな、とも思います。それは、今のソニースクエアが持っている都市性・公共性を、建築全体、さらに交差点全体にまで押し拡げるということなのかもしれませんね。

PROFILE

青木淳
青木淳
1956年横浜市生まれ。82年東京大学大学院修士課程修了。83年〜90年磯崎新アトリエに勤務後、91年に青木淳建築計画事務所を設立。個人住宅をはじめ、公共建築から商業建築まで、多方面で活躍。2004年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。代表作に「馬見原橋」、「潟博物館」、「ルイ・ヴィトン表参道」、「青森県立美術館」、「大宮前体育館」、「三次市民ホールきりり」等。著書「JUN AOKI COMPLETE WORKS 1:1991-2004」「同第2巻Aomori Museum of Art」、「原っぱと遊園地1,2」(王国社)、「青木淳ノートブック」(平凡社)「JUN AOKI COMPLETE WORKS 3:2005-2014」(LIXIL出版)他。
倉方俊輔
倉方俊輔
1971年東京都生まれ。99年早稲田大学大学院博士課程満期退学。博士(工学)。日本学術振興会特別研究員、西日本工業大学准教授などを経て、2011年より大阪市立大学大学院工学研究科准教授。著書に『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社)、『ドコノモン』(日経BP社)。共著に『東京建築 みる・あるく・かたる』(甲斐みのりと、京阪神エルマガジン社)、『大阪建築 みる・あるく・かたる』(柴崎友香と、京阪神エルマガジン社)、『生きた建築 大阪』(140B)、『これからの建築士』(学芸出版社)、『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』(彰国社)他。監修・解説書に『伊東忠太建築資料集』(ゆまに書房)などがある。