GINZA SONY PARK PROJECT

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銀座という「舞台」の未来とは

演出家
宮本亜門
銀座街づくり会議事務局長
竹沢えり子

TALK SESSION #04

開催日時
2016年9月3日(土)14:00〜15:30
開催場所
ソニービル 8F「コミュニケーションゾーン OPUS(オーパス)」

銀座ソニーパークプロジェクトトークセッション、第4回目となる今回は、東京・銀座生まれの演出家・宮本亜門さんと、銀座街づくり会議事務局長の竹沢えり子さんをお招きし、「銀座という『舞台』の未来とは」をテーマにお話をお伺いしました。

文化の町・銀座

宮本:僕の実家は銀座にある新橋演舞場前の喫茶店だったんですけど、小学生の頃友だちに笑われて。それを母に伝えたら「お前は文化がある銀座にいるのよ、銀座の喫茶店は恥ずかしがることなんてない。プライドを持っていい」と言われたんです。以来、喫茶店ということを恥ずかしいと思うことはなくなりました。

お店が東銀座にあったので、毎日5時とか6時のお座敷の前になると芸者さんがたくさんやってくるんですね。それで何を飲むかというと、皆エスプレッソを一気飲みするんですよ。新橋の芸者言葉で「かっ食らう」。かっこいいでしょ。その頃の僕の興味は女優さんやアイドルではなく、芸者さんでした(笑)
そんな子供時代を過ごした僕ですが、一番の楽しみは何といっても大銀座祭でしたね。

竹沢:昭和43年からスタートした「音と光のパレード」ですね。

宮本:そうそう。10歳の頃です。それが楽しくて、毎年、朝から場所取りまでしていました。各デパートやそれぞれのお店が花車を出して、ほんとに華やかでね。

竹沢:私も子どもの頃に初めて見て、こんな夢の様な世界があるのかと驚きましたね。

宮本:ほかにも、日舞が好きで新橋演舞場の稽古場に通い、茶道をやってみたりと、銀座のあちこちで和物の文化に浸って育ちました。演出家デビュー作の『アイ・ガット・マーマン』も、どうしても銀座でやりたくて、アルバイトして貯めたお金で、築地本願寺の中にある劇場を借りてどうにか上演にこぎつけたんです。今でもこの界隈にいるとホッとするんですよ。自然がないとか友だちができにくいといったことはあったけど、いろんな人が訪れて、とにかく活気があるのが銀座の大きな魅力だと思っています。

竹沢:私は父が銀座に務めていたこともあり、子どもの頃に一人で行ける大きな町といえば銀座でした。
仕事では、1992年頃から銀座に関わるようになりましたね。当時、たまたま資生堂の仕事をしていたのですが、多くの企業が臨海副都心に移ることを検討している中で、資生堂の当時の社長だった福原義春さん(現名誉会長)は敢えて、「東京銀座資生堂」といって、会社が銀座という土地にあることに意味があるとおっしゃったことが印象に残っています。企業は場所と深く関わっているということを、福原社長は深く考えていらっしゃったんですね。

1998年には、銀座の町の骨格を決める地区計画作りのお手伝いをさせていただきました。建物の高さや容積率を決める条例です。銀座の建物の最高高さは56メートルということに決まったのですが、2003年に特別な許可を得れば超高層ビルを建ててもいいという法律ができて、松坂屋があったところに超高層ビルの計画が浮上しました。そこで「あれだけ銀座の人たちで苦労して条例を決めたのに、国の法律で変えられちゃうのか? 超高層ビルは銀座にふさわしいのか? そもそも銀座らしいってどういうこと?」と大議論になったことがきっかけで、私が所属する「銀座街づくり会議」ができました。

銀座らしさとは何か

竹沢:大きな商業施設って、地下鉄を降りるとそのままビルの地下につながっていて、そのビルの中でショッピングをしてごはんを食べて、また地下に降りて電車に乗って帰るだけで事足りることもありますよね。
でも銀座は、大きなお店もあるけど、間口の小さな、親子だけでやっている昔からあるお店もあって、路地に入ると色々な発見がある。銀座らしいというのは、一つには多様性があり賑わいが連続する「歩くのが楽しい街」なのではないかというのが「銀座街づくり会議」でさんざん話し合ったひとつの結果です。この特徴を守るため、さらに「銀座デザイン協議会」という団体もつくり、銀座に新しいビルを建てるときや、広告を出すときは必ず「銀座らしいか」をチェックして、銀座の地元の人たちで判断するというシステムを作りました。

宮本:「銀座らしい」って、難しい定義ですよね・・・。ただ、確かにある時期から、出入口を一つにしてしまって、一度中に入ったら中で全てまかなえるようなシステムになっている建物が増えたけれど、これは銀座には反する商法ですね。通りに向かってそれぞれのお店への出入口が開かれているのが銀座らしいと感じます。 ちなみに、この「銀座らしさ」の基準に反する建物に対しては、合わせてくださいとお願いするんですか?

竹沢:その通りです。例えば、ビルの裏側が駐車場になっているところも、全面を壁にするんじゃなくて、小さくてもいいから何かのお店を作ってもらうようにお願いしています。
でも、このルールにがんじがらめになっているわけではなくて、昭和通りより向こう側の歌舞伎座や新橋演舞場があるエリアは、「銀座の文化に寄与するような開発」であれば、高さ制限の例外を認めましょう、ということにもなっています。歌舞伎座はその一例ですね。
ただ、そうしたら今度は「銀座の文化」って何を指すんだろうと・・・。
宮本さんに2008年に「銀座文化の創造」という講演を行っていただいたのも、こうしたことが背景にあったからです。

宮本:そんなに大きな話だったんですか!先に言ってくださいよ(笑)。

竹沢:言いましたよ、確か言ったと思いますよ(笑)。

あともうひとつ、銀座らしさとは「信頼感」ではないかと、強く感じます。
お店への信頼感、商品への信頼感、壊れても直してもらえるという未来への信頼感。働く人同士にもお互いの信頼感や暖かな人間関係がベースにある。こうしたことを念頭に置きながら、今後の銀座も地元の人たちと一緒に考えていくことが重要だと感じています。

次の銀座は誰が作る?

竹沢:東京五輪にあわせて「GINZA2020」というプロジェクトも立ち上げたんです。銀座は選手村が近いので、世界中の選手たちが銀座に遊びに来るでしょうから、彼らをおもてなししたり、銀座の魅力を世界に発信できるイベントを企画したりしていこうと。ソニーパークもこのイベントの中で重要な位置を占めてくれることを期待しています。

宮本:新しいソニービルが建つのは、五輪が終わって2年後の2022年で、それまではパークにしておくんでしょ。かなり思い切ったことをやっていますよね。

今は銀座や日本だけじゃなく、世界中で経済の問題やテロの問題、天変地異なんかもあって、個人個人のアイデンティティも揺らいでいる時代です。誰もが不安がっていて、かつてはそうした時代の原因探しとして、魔女狩りがあったりした。生きづらい時代と言えますよね。
でも、単に生きづらいだけじゃなく、そういう時代って、そこから多様な考え方、文化や哲学が生まれたのも事実です。折よく東京五輪が2020年に近づいてきたことで、不安な時代の中で誰もがアイデアを出し始め、一斉に議論をしなければならない状況でもある。これは面白い時代に入ってきたんじゃないかと、僕は理解しています。

竹沢:こんな時代だからこそ、これからは「銀座をこうしていきたい」「こんなアイデアはどうか」という意思を、いろんな方と話しながら作っていきたいですね。

宮本:銀座は、それこそ文明開化してシャンゼリゼを真似たような通りや、石造りのビル群のように、文化の中心として西洋を取り入れることで発達してきた街だと思います。それらが融合することで、大通りから路地裏まで含め、銀座から先駆的なものがいろいろと生まれてきた。でも、今はもう西洋こそが最先端というわけではないですよね。アジアを見るともっと勢いがあったりします。
だから、先駆の精神はベースにしたまま、銀座はこれから何を提供していくのか。これを皆で考えていく必要がありますね。

例えば僕は子供の頃よく屋上で遊んでいたんですが、今回のパークのように、銀座の屋上が全部地上56メートルの庭になるとか、そういうのもありかもしれないよね(笑)。
竹沢さんは何かやりたいことはありますか?

竹沢:銀座は歩行者天国を長年にわたりやっていますよね。銀座の通りや公園を使って何か楽しいことをやれたらいいなと思っています。
たとえば、ニューヨークのタイムズスクエアは今、自動車の交通が制限されていて、ほぼ歩行者のための広い公共空間になっているんですね。そこを行き交う人たちがお互いに見たり見られたりと、まさに街が「舞台」になっている状態。銀座もそうなれるんじゃないかと期待しているんです。
さらにそこにソニーパークという大きな公共空間ができる訳ですから、道路とも繋がって何か楽しい場所になったら本当にいいですね。

宮本:今でも覚えていますが、ソニービルを始めて見たとき、巨大な野外ショーウインドウになっているあのスクエアの存在にとても驚きました。あんな場所他にはなかった。今でも、銀座の交差点を見ながら座れる唯一の場所がスクエアですよね。パークができて、こういう場所がさらに広がるということはとても嬉しい事です。

竹沢:一方で、この素晴らしい芦原さんの建築がなくなってしまうということについてはとても残念に感じてもいます。建築家の槇文彦さんの言葉に「建築も都市もその善悪の最後の審判者は『時』である」という言葉がありますが、時が経ったとき、結局これは正しい選択だったのだと判断されるように、これから銀座の街も含めてしっかり考えて作っていかなければいけないなと思っています。

宮本:銀座は、歌舞伎座や演舞場以外にも、宝塚や日生劇場、ミュージックホールに日比谷の映画街と、すごくきらびやかな街でした。こんな界隈はブロードウェイと比べたって恥ずかしくないと思っています。
この文化の街での僕の夢は、2020年に向けて、銀座四丁目の交差点のど真ん中に舞台を作りたいんです。それも歌舞伎だけとか宝塚だけとかじゃなく、それらを全部織り交ぜて、交差点の四方から楽しめるようなものを作りたい。東京五輪で世界中から集った人たちに、日本のエンタメはこんなに面白いんだぞ、というのを見せたいです。
それから大銀座祭のように、銀座中のお店というお店、普段なら入れないようなミシュランの高級店までみんな屋台を通りに出して、一品ずつでいいから誰でも気軽に食べ歩けるようにして欲しいですね。

竹沢:銀座にはそれこそ世界中の料理店もありますからね。しかも各国料理というだけじゃなく、インド料理も北インドから南インドまで全部あるというレベルです。物産館も日本全国のものがありますし、題材は充分そろっています。

宮本:それを誰がつないで、現実に形にするのか、ということですね(笑)。
銀座は、いい意味でアミューズメントパーク性が残っていて、「ここだからこそ」という感覚が珍しく残っているところです。面白くユーモアをもって、お互いがオトナとして楽しめる場所で有り続けてもらえるように、銀座とパークのこれからを、皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。

PROFILE

宮本亜門
宮本亜門
1958年 東京・銀座生まれ。ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎等、ジャンルを越える演出家として国内外で幅広い作品を手がけている。2004年、東洋人初の演出家としてニューヨークのオンブロードウェイにて「太平洋序曲」を上演し、同作はトニー賞の4部門でノミネートを果たす。2013年8月には初めての歌舞伎演出となる 市川海老蔵自主公演「ABKAI」での新作歌舞伎を上演。また、9月には欧州初のオペラ演出として、オーストリアにてモーツァルトのオペラ「魔笛」を世界初演した。近年の作品としては、2015年10月には上賀茂神社の式年遷宮にて奉納劇「降臨」を上演し、2016年10月に、能と3D映像を掛け合わせた世界初めての試みとなる「幽玄」をシンガポールのアジア民族博物館でプレミアの予定。
竹沢えり子
竹沢えり子
東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。出版社勤務を経て、90年代前半より銀座のまちづくりやイベント開催等に関わる。2011年に銀座をテーマとした論文にて東京工業大学工学博士を取得。著書『銀座にはなぜ超高層ビルがないのか』(平凡社新書)、『銀座 街の物語』(河出書房新社)ほか。