GINZA SONY PARK PROJECT

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これからのアーバンデザイン

ライゾマティクス
齋藤精一
JDN
山崎泰

TALK SESSION #06

開催日時
2016年10月1日(土)15:00〜16:30
開催場所
ソニービル 8F「コミュニケーションゾーン OPUS(オーパス)」

銀座ソニーパークプロジェクトトークセッションも第6回。今回はデジタルコンテンツから建築まで手がけるライゾマティクスの齋藤精一さんと、「デザイン」をキーワードに内外の情報を紹介するJDNの山崎泰さんをお迎えし、「これからのアーバンデザイン」について語っていただきました。

マクロからミクロへ

山崎:今日のテーマは「これからのアーバンデザイン」なんですけど、齋藤さんの考えるアーバンデザインはどういうものですか?

齋藤:建築的な見方から考えると、安全で安心な街づくりということになると思うんですが、消費者の立場から見た場合には、その町にどんなパン屋や美味しい喫茶店があるのかとか、その店の名物親父とか、そういうところまで含めた生活レベルのアーバンデザインが重要です。
何をもっても街はワクワクするものであってほしい。有象無象な文化が集まる街、一歩踏み出すのに勇気がいる街もアーバンデザインの1つですよね。
アーバンデザインというものを、僕が日本人らしい捉え方をしていると思うのが、街を外から俯瞰で見ている気がするんです。日本人は俯瞰でものを見るのが得意ですよね。だからこそ新しい商品の数々を開発してくることができたというのもあるでしょうし。

でも、今の時代はこうしたマクロ視点から、もっとミクロ視点にシフトしています。人にはどういう経験が必要なんだろうかとか、その経験がどう街に反映されるのかといったことも考えなければいけない、と考えています。
今までの建築家のあり方や街づくりのあり方も、いろんなものを俯瞰で見すぎていてるので、もっと中に入り込んでいかなければならないと思います。

山崎:私は札幌出身なんですけど、札幌という街を俯瞰すると余白が広くて街に密度がない。大雪が降るので雪を積んでおく場所が必要で、冬には道路の幅が半分になってしまう。これはもう仕方がない。そうした故郷の風景と比較して、猥雑さを含めて大都市の密度の濃さにワクワクするのが私のアーバンデザインへの興味の原点で、これはミクロ視点ですかね。ところで、齋藤さんが特に気になる都市というとどこでしょうか。

齋藤:大都市というと香港や上海といったところもそうですが、僕が今一番気になるのは、やっぱり東京です。2020年の東京五輪に向けて、同時多発的に大量のビル建設計画が動いています。これから数年で風景が一気に変化していくでしょう。ただ、これは日本や東京の条例や法律の関係でそうなってしまうんでしょうけど、同じような建物ばかりが作られてしまうんじゃないかという心配もあります。そんな東京に対して、攻めているのは、やっぱりニューヨークですよね。

ニューヨークの試み

齋藤:仕事で海外へ行くことが多いんですが、その中でもニューヨークは突出して特徴的な街です。東京と際立って違うのは、新旧のものが入り混じっているところです。東京は、「壊しては建て壊しては建て……」と新陳代謝が早いけど、ニューヨークは、それこそ18世紀の建築も残っている。と同時に、リンカーンセンターができるときにシティコードという景観条例が少しゆるくなり、デベロッパーさんが新しいモノをボコスカ建てるようになった。

最近ですと、ワールドトレードセンター跡地の『オキュラス』というプラットフォームや、ブルックリンの『ナショナル・ソーダスト』というライブハウス、高架貨物線跡を歩道に再利用した『ハイライン』など、成功事例が多数あります。

そして、特に日本のデベロッパーさんも多く視察に訪れるのが『ブライアント・パーク』です。ここは、普通の公園といえば普通の公園なんですけど、一昔前までは塀で仕切られていて、夜になると入れないようになっていました。でも新しい運営になってから、塀を全部取っ払ったら、夜の出入りを制限していたときより犯罪率も低下しました。『ブライアント・パーク』のディレクターをしているイグナシオさんは、本来誰もが想像する「公園」を作ろうと思ったんだそうです。花が咲いていてのんびりできて、電源やWi-Fiも用意してオフィスから仕事を持ち出すこともできる。日本だと、いざ公園を作るとなっても、ボール遊びダメ、花火ダメ、騒音ダメなどと、本当の意味での「公の園」にはし難いのが現状です。

確かに危険を排除するのはわかるんですけど、それをやりすぎるといいものも一緒に排除しちゃう。『ブライアント・パーク』は、危険を排除するのではなく、いいものを残す、取り入れるという考え方で作られています。結果として人が集まり、人が集まるからビルも建ち、相乗効果がある街が作られています。

山崎:ソニーパークも銀座のこの土地で『ブライアント・パーク』のような存在になるといいですよね。

齋藤:普通、デベロッパーさんなんかがこういう企画をすると、結局は採算主義になりがちですよね。公園を作りながら、入口にこれだけの規模の店舗が必要だとか、電卓叩きながら。

山崎:でもソニーは本当に2年間、ここを公園にしちゃうつもりらしい。とはいえ、これだけの一等地を公園にしたら、観光地として名所になることは確実ですから、広告効果としてそれだけで充分に元は取れちゃいますよね。

斎藤:三カ月で消えてしまう広告よりも、こういう場所を作るのはすごくいいチャレンジですよね。

以前、銀座のイベントに携わった際に、銀座商店会の会頭が仰っていたのは、 "変えない為に銀座は変えているんだ"と。銀座は変えたくない、古い商店や老舗と言われる店が残っていくためにも、開発をすると地価が変わり、立ち退かなければいけない。それを変えない為に、いま銀座は何をやればいいか考えている。新陳代謝をしていないと思っていたら、中に入ってみると新陳代謝をしている街だと思ったのが印象的でした。銀座という街そのものもどんどん変わっていっていると思います。

都市とデジタル

齋藤:テクノロジーというものは、今まで「場所性」がありませんでした。インターネットなんて、その典型のようなものですね。ところが、21世紀になってからスマートフォンとGPSという技術が急激に発展しました。最近ではこれらを使って、「ポケモンGO」や、Googleマップで待ち合わせ場所を決めるといったことが普通になっています。つまり、リアルな空間とデジタル空間がリンクしはじめたわけです。

こうしたことをきちんと視野に入れて、例えば明日は旧正月だから中国人観光客のためのお祭りをやろうとか、急な思いつきや情報に即時的に対応できる街づくりをしていくことが今後重要になっていくと思います。ソニーパークも基本的にソニー1社で決定できる場でしょうから、これができるんじゃないでしょうか。

山崎:それこそフリーペーパーやクラブイベントみたいな、僕らが若い頃にやっていたようなもののノリに近い感じでしょうか。

齋藤:そうですね。さらにソニーパークの土地だけでなく、周囲も巻き込めるように景観条例とかもゆるめられれば、なおいいですよね。ソニービル前の数寄屋橋交差点を止めてイベントやるのもアリかもしれない。

山崎:ソニービル一か所で何か面白いことをすることで、銀座や東京全体に影響を及ぼすことも考えられますよね。

齋藤:間違いないです。美味しいもの、面白い体験ができる場所はいろんなところにありますけど、東京の場合、その多くはどこでも同じような体験なんですよね。となると、わざわざ行かなくていいかな、と思っちゃう。ニューヨークのユニークな施設がそうであるように、ソニーパークもまた、そこでなければ体験できない場所になってくれれば、それに応じた新陳代謝が都市に起こっていくんじゃないでしょうか。

もし、僕がプロジェクトを進められるならば、まずは「最高の更地」を作りたいです。場所というよりも運営に興味があって、その中に気の良い兄ちゃんたちがいて、例えばガードマンも、この線に入りそうな人がいたら注意するではなく、アメリカのガードマンと同じように、コーヒーを飲みながら、何かなければ声をかけないという、そういう甘さも文化的にはすごく大事じゃないかと思います。イケてる公園をずっと作り変えて行くチームがいる「最高の更地」を作ってみたいですね。

PROFILE

齋藤精一
齋藤精一
1975年神奈川生まれ。建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学び、2000年からNYで活動を開始。その後ArnellGroupにてクリエティブとして活動し、2003年の越後妻有トリエンナーレでアーティストに選出されたのをきっかけに帰国。その後フリーランスのクリエイティブとして活躍後、2006年にライゾマティクスを設立。建築で培ったロジカルな思考を基に、アート・コマーシャルの領域で立体・インタラクティブの作品を多数作り続けている。2009年−2014年国内外の広告賞にて多数受賞。現在、株式会社ライゾマティクス代表取締役、京都精華大学デザイン学科非常勤講師。2013年D&AD Digital Design部門審査員、2014年カンヌ国際広告賞Branded Content and Entertainment部門審査員。2015年ミラノエキスポ日本館シアターコンテンツディレクター、六本木アートナイト2015にてメディアアートディレクター。グッドデザイン賞2015-2016審査員。
山崎泰
山崎泰
1969年、北海道室蘭生まれ、札幌育ち。北海道大学卒業、心理学専攻。デザインが好きで、空間デザイン最大手の丹青社に入社。1997年に社内ベンチャーとして「JDN」を始める。ゼロから顧客開発し事業成立の中心的な役割を担う。2011年より株式会社JDNの取締役。現在はブランドディレクターとして、コンテストのコンサルティング、取材・執筆、講演なども行う。JAPAN BRAND FESTIVALボードメンバー。趣味はサックス演奏。