GINZA SONY PARK PROJECT

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ソニービルの過去と未来をつなぐ

建築家
芦原太郎
建築史家
倉方俊輔

TALK SESSION #09

開催日時
2016年11月12日(土) 16:00〜17:30
開催場所
ソニービル 8F「コミュニケーションゾーン OPUS(オーパス)」

銀座ソニーパークプロジェクトトークセッション、最終回となる第9回は、ソニービルを設計した芦原義信さんのご子息で、自身も建築家の芦原太郎さんと、トークセッションに3度目の登場となる建築史家の倉方俊輔さんをお迎えし、ソニービルの過去と未来について語っていただきました。
そして、トークセッションの最後には、スペシャルゲストとしてソニー株式会社代表執行役社長 兼 CEOの平井一夫さんが登壇。フィナーレにふさわしい3人のお話により、会場は大いに盛り上がりました。

Be creative, be original

芦原:父は戦後初めての日本からの留学生として、近代建築の本拠地ともいえるアメリカのハーバード大学で学びました。そこで身につけたのが、「Be creative, be original」、建築家は誰かの真似ではなく、自分でオリジナルなものをクリエイトしなければいけない、という考え方でした。それも様式とか形態といった表面的なことだけではなく、建築の諸条件とともにそこで生活する人間にとってどういう空間がいいのかも含めて、それに対するオリジナルな回答を出さなければ、ということです。

倉方:芦原義信さんとソニーとの出会いには運命的なものを感じます。ソニーというのは、戦後の企業です。情念とか封建主義といった、日本が戦争に負けた原因ともいえる考え方ではなく、もっと科学的で、モノを作っている人たちのオリジナルで、クリエイティブな精神を大事にする会社といえます。このことと、芦原義信さんがアメリカで獲得したものが非常に合致したのではないでしょうか。

芦原:まさにクライアント自身が建築家に、「オリジナルでクリエイティブであれ」と言ってくれている企業がソニーだったわけです。ソニーと出会い、ビルの設計を依頼された父は、「我が意を得たり」と徹夜で設計に励んだと言っていましたね。設計そのものは、実は地味な作業なんです。ああしたい、こうしたいといった夢や希望、イメージがあっても、それを実現するためには細部の図や模型を作り、何度も試行錯誤を繰り返す。でも、その先にすごいものが出来上がると思うと、そうした地味な作業も楽しいし、幸せなわけです。ソニービルは花びら構造もオリジナリティのあるものですが、ルーバーを使ったファサードも特徴的でした。そして数寄屋橋交差点の角のソニースクエアもユニークなものでしたね。また、ファサードも特徴的でした。中から外を見るときにどう見るか、外から中を見るときにどう見えるか。両方を考えながら建築することは難しいんです。父はその課題に対してルーバーというユニークな回答を出した。

倉方:当時の法律だったら、敷地いっぱいにビルを建てることができたのに、あえて土地を余らせているんですからね。普通に考えたら、そんなのもったいない。だけど、その余ったスペースがあることで、50年にわたって街を歩く人たちに向けた様々なイベントを開催したり、街を歩く人たちの待ち合わせ場所としても利用されてきた。ここが愛される理由をつくってきた一つです。

今回のソニーパークプロジェクトも、その延長上にあるような、プロジェクトといえますよね。普通だったら2年間も誰もが自由に使えるパークになんてしないで、さっさと新たなビルを建てて賃料を取った方が利益が上がると考える。でもソニーはそうしなかった。

芦原:ソニーはそういう短期的な経済合理性を捨てて、企業としてのイメージアップなり、メッセージを長期的に発信することにどれだけの価値があるかに賭けたんですね。すごい英断ですよ。

誰もが参加できるプロジェクト

芦原:時間をかけてみんなで議論しながら次を探るソニーパークプロジェクトって、わくわくしますよね。私も建築家ですから、そういうお題を聞いたらこういうのはどうだろうとつい考えてしまいます。ちょっと考えたものを今日は持ってきています。みんなが議論するためのヒントになれればと。

まずはビル解体後、パークになるということなので、「Ginza Sony VR Garden」というものを考えてみました。ソニーのVR技術や音響技術の全てを駆使することで、オープンになった空間に砂漠や海の中や森林など、どんな場所でも再現できる。イベントだって実現できる。またこの場にいる人たちだけでなく、世界中のあらゆる場所にいる人が自分の作品を発表できる場にすることもできますよね。そしてこの場で上映や上演されている様子も世界に発信していく参加型のパーク。ソニーならできそうです。

倉方:人と人が出会って語り合い、そこでパフォーマンスも行われている。伝統的なイタリアの広場が持つような質を技術の力で拡張したイメージですね。

芦原:技術を使うことで、この場をどういう状況にも変換できるわけです。どういう場にするかは、その時々でみんなで合意形成する。空間自身に多様性を許容させられる空間ですね。

続いては「Ginza Sony IoT Showcase」。新たなソニービルは、ビルの壁面を二重ガラスにして、内側のガラスにはメッシュをかけて外から見るとビル全体を、ショーウインドウのようにする。その中の展示はすべてIoTロボットが行う。リアルな物をあつかう展示とその準備や撤去のプロセスをすべて見てもらう。IoTロボットに展示の作業をさせるなら、海外からだってロボットを動かすこともできる。人間が技術を使って何ができるのかを見せるとともに、ソニーの技術で情報発信して世界中の人々をつなぐ場になるといいと思っています。

倉方:モノを作ることがいかに楽しいかですよね。ソニー創業者の盛田昭夫さんも芦原義信さんも、絶対に楽しんでいたはずです。ソニーパークプロジェクトに直接かかわる人も、変化を見守る人たちも誰もが楽しいものになれればいいですね。

芦原:専門家だけじゃなく、誰もが一緒にね。それについて、ソニー株式会社代表執行役社長 兼 CEOの平井一夫さんにもお話をお願いしましょう。

キーワードは「感動」

平井:素晴らしいアイデアでした。「It's a Sony展」でも来場者の方々が期待することを書き込めるコーナーを用意していますので、そちらもぜひ。

倉方:平井さんご自身のソニービルの思い出は?

平井:私は中学生の頃からオーディオや短波ラジオが好きで、ここのショールームも頻繁に遊びに来ていました。友だちとの待ち合わせにも使ったりして、青春の一部ですね。

倉方:ここは銀座の、というよりも、日本の一等地でもあります。経営のトップとして見たときに、ソニーがここを所有している必要はないんじゃないかという意見もあったのではないでしょうか。そうしないと決断されたのはなぜでしょう。

平井:もちろんいろんな議論や意見があったんですけど、やはり50年間、銀座にお世話になったということが大きいですね。単にビルを建て替えたり、それこそ売却してしまうだけなら誰だってできるだろうと。それよりもソニーらしいやり方こそが必要なんじゃないかという議論の中で、スタッフの1人が「思い切ってフラット化したらどうでしょう」と。それをきっかけに今回のプロジェクトが本格的に盛り上がり、数年越しのプランに至ったわけです。
誰でも気軽には入れるような空間、いつ来てもらっても楽しめる空間にしたいと考えて"Inviting"というキーワードを使わせてもらっています。

またソニーは現在、エレクトロニクス、映画、音楽、ゲーム、金融、不動産等々、様々なビジネスをしていますが、共通のキーワードは「感動」なんですね。お客様に「Wow」と言ってもらえることを目標にしているんですが、ソニーパークプロジェクトもまた、空間もプロセスも含めて感動していただけるものにしたいと思って動いています。

芦原:建築もそうですね。頭のなかで考えていたビジョンが実現し、その建築が機能していろんな人が出入りしている様子を目にした時は、やっぱり感動しますよね。

平井:作る側も体験する側も感動するポジティブなサイクルがもの作りの醍醐味ですよね。そのために作り手が、常にお客様の視点にも立って物事を考えるようにしています。

芦原:そうした思想でこのビルを50年間大切に使ってくれてありがとうございました。新しいソニービルのみんなが参加できる丁寧な設計プロセスは素晴らしいものだと思います。是非こういうやり方で良かったという成功例にして欲しいです。設計した芦原義信の息子としては、建物がなくなってしまうのは心苦しいんですが、新しいソニービル、新しい銀座の魅力に期待しています。

平井:芦原先生の建築に対するリスペクトと、ソニービルのファンに対するリスペクトのために、ソニービルの解体後に裁断したルーバーを販売します。みなさんにソニービルの一部を持っていただけたらと思います。

こちらの収益はセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンと共同で立ち上げたファンド「子どものための災害時緊急・復興ファンド」に寄付します。詳細はこのプロジェクトのウェブサイトで後日発表します。
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PROFILE

芦原太郎
芦原太郎
1950年東京生まれ。74年東京芸術大学建築科卒業、76年東京大学大学院建築学修士課程修了。85年芦原太郎建築事務所設立、2003年芦原建築設計研究所代表を兼務。
個人邸から銀座7丁目の福原銀座ビルをはじめ、参加型設計手法による公共建築づくりまで幅広いジャンルの設計を行う。クライアントや利用者との対話を大切にし、豊かな環境づくりや生活をEnjoyできるよう心がけている。2010年〜16年日本建築家協会で会長を務め、国際交流や建築・まちづくりに向けた社会活動も精力的に行っている。
倉方俊輔
倉方俊輔
1971年東京都生まれ。99年早稲田大学大学院博士課程満期退学。博士(工学)。日本学術振興会特別研究員、西日本工業大学准教授などを経て、2011年より大阪市立大学大学院工学研究科准教授。著書に『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社)、『ドコノモン』(日経BP社)。共著に『東京建築 みる・あるく・かたる』(甲斐みのりと、京阪神エルマガジン社)、『大阪建築 みる・あるく・かたる』(柴崎友香と、京阪神エルマガジン社)、『生きた建築 大阪』(140B)、『これからの建築士』(学芸出版社)、『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』(彰国社)他。監修・解説書に『伊東忠太建築資料集』(ゆまに書房)などがある。